僕はまんちん

モラトリアム期間満喫中。大学三回生

風立ちぬを観てきました

昨日、レイトショーで風立ちぬを見てきました。うっかりバイクで行きましたら、帰り道は物凄い雷雨。バイクの上に置いていたヘルメットを被ると、まるで盥を逆さまにしたかのようにヘルメットに溜まっていた水が私の頭部を襲いました。良い映画を観てきたんだぞ、ドリフみたいなことしていないで少しくらい干渉に浸れ私の阿呆。


風立ちぬ、どんなものかと観てきましたら、開始15分程のシーンで目頭が熱くなってしまいました。

そのシーンですが、主人公のジローが夢の中で飛行機設計の代表者であるカプローニに尋ねます

「私は近眼で飛行機のパイロットになることができませんが、設計者にはなれますか?」

「私だって飛行機の操縦はできんよ、パイロットに向いている人間は他にも山ほどいる。だから私は自分にできること、飛行機の設計をするのだ!」

カプローニは少年の問いにこう答えるのです(だいたいこれで合ってる筈)。このシーン、文字に起こすとなんて事は無いですが、映像にするとカプローニの顔がアップになり、力強い眼光とくるくる回る背景で、それはもう雄大にこの発言をするのです!

何故このシーンにグッときたか、それは私の好きな小説で述べられていた「可能性と不可能性」の話に繋がる部分があったからです。

私達は普段、自分の可能性を信じ、それに対して仕様も無い人生を歩んでいる自分に落胆したりしています。
(自分ならもっとこういう人生を送る事ができた)
(あそこで違った選択をしていればなあ)
というように。
しかし、その小説で述べられていたのは
「今ある自分こそが自分であり、それ以外の何者にもなれない自分を認めなければならない。」ということでした。
ありもしない可能性にばかり気を取られていないで、自分の不可能性を認め、その上でどっしり構え、できることをする。それが小説で述べられていた、人生を有意義にする考え方であり、私が成る程と感じたことなのです。


カプローニの様な立派な人間が自分の不可能性を認め「自分には操縦はできないが設計をすることはできる!!」と力強く述べていた事に対してなんだか凄くうるってきてしまったのです。


上記した小説を読んだ後も、私は自分の有りもしない可能性を無限信じ、自分ならきっと何でもできると思っていました。高校生くらいの人間がそう思うならまだわかります。しかし私も、もう大学の三回生。そんな絵空事をいつまでも言っていられません。私も自分の可能性、不可能性を見つめ直して、できることをやるしかないのです。

きっと風立ちぬを観て
「カプローニの夢での発言が良かった!」
という感想をもらす人は余りいない事と思います。しかし私にはそこが1番響いたのです。見る事ができて良かったと思いました。

以上!!